ゆずき

地球の歴史に興味をもっております。さまざまな過去地球で起きた天変地異を紹介

阪神・淡路大震災とは|死者6434人・震度7が初めて記録された日

阪神・淡路大震災とは|死者6434人・震度7が初めて記録された日

1995年1月17日、午前5時46分。まだ多くの人が眠る冬の早朝、関西の街を激しい直下型地震が突き上げました。阪神・淡路大震災です。マグニチュードは7.3。日本で初めて震度7が記録され、亡くなった方は6,434人にのぼりました。倒れたのは木造家屋だけでなく、頑丈なはずの高速道路やビルまで。戦後日本の防災を、根底から変えた一日でした。 阪神・淡路大震災とは?震度7が初めて記録された地震 阪神・淡路大震災は、1995年1月17日午前5時46分に発生した兵庫県南部地震による災害です。震源は淡路島北部沖の明石海峡 ...

浅間山天明大噴火とは|鎌原村を消した火砕流と天明の飢饉

浅間山天明大噴火とは|鎌原村を消した火砕流と天明の飢饉

群馬と長野の境にそびえる浅間山。その山が記録上最大の猛威をふるったのが、1783年(天明3年)の浅間山天明大噴火です。山を流れ下った火砕流と泥流は、ふもとの鎌原村をまるごと呑み込み、一瞬で村人483名の命を奪いました。噴火全体の死者は約1,624人。さらに降り積もった灰は、すでに始まっていた天明の大飢饉に、容赦なく追い打ちをかけたのです。 浅間山天明大噴火とは?記録に残る最大の噴火 浅間山は1783年(天明3年)の春から活動を強め、とりわけ旧暦7月8日(新暦8月5日)に最大規模の噴火を起こしました。これは ...

安政江戸地震とは|死者1万人・江戸を襲った直下型地震と鯰絵の真実

安政江戸地震とは|死者1万人・江戸を襲った直下型地震と鯰絵の真実

幕末の動乱がいよいよ深まる1855年(安政2年)の秋の夜、江戸の地が突き上げるように激しく揺れました。安政江戸地震です。マグニチュードは7前後と、巨大地震ほどではありません。けれど真下で起きた直下型ゆえに被害は深刻で、地震と火災あわせて約1万人が亡くなったと伝わります。そして揺れのあと、なぜか江戸を席巻したのは大量の「鯰(なまず)の絵」でした。 安政江戸地震とは?江戸の真下で起きた直下型地震 安政江戸地震が発生したのは、安政2年10月2日(新暦1855年11月11日)の夜10時頃。震源は荒川河口付近とされ ...

宝永地震とは|南海トラフ最大級・死者2万人と富士山噴火を呼んだM8.6

宝永地震とは|南海トラフ最大級・死者2万人と富士山噴火を呼んだM8.6

日本の歴史に刻まれた地震のなかで、最大級とされるものをご存じでしょうか。1707年(宝永4年)の宝永地震です。マグニチュードはおよそ8.6。東海から四国まで、南海トラフがほぼ同時に動いたと推定され、死者は全体で約2万人にのぼったと伝わります。しかもこの49日後には、富士山までもが火を噴きました。日本列島が連鎖的に揺れ動いた、忘れがたい年です。 宝永地震とは?南海トラフがほぼ全域で動いた巨大地震 宝永地震が起きたのは、宝永4年10月4日(新暦1707年10月28日)の午後2時頃。震源域は遠州灘から四国の沖合 ...

富士山宝永噴火とは|江戸に灰が降った16日間と「最後の噴火」の真実

富士山宝永噴火とは|江戸に灰が降った16日間と「最後の噴火」の真実

富士山が最後に火を噴いたのはいつか、ご存じでしょうか。答えは1707年(宝永4年)。日本最大級の巨大地震・宝永地震からわずか49日後に始まった、富士山宝永噴火です。噴火は約16日間続き、火山灰はおよそ100km離れた江戸の空までも黒く染めました。直接の死者の記録はほとんど残っていません。それでもこの噴火は、その後100年にわたって人々を苦しめる爪痕を残したのです。 富士山宝永噴火とは?1707年に起きた「最後の噴火」 富士山宝永噴火は、宝永4年11月23日(新暦1707年12月16日)に始まり、12月8日 ...

明暦の大火の死者数は最大10万人?江戸を焼き尽くした「振袖火事」の真実

明暦の大火の死者数は最大10万人?江戸を焼き尽くした「振袖火事」の真実

江戸の町を、わずか三日で焼き尽くした火がありました。1657年(明暦3年)に起きた明暦の大火です。死者は諸説あり、3万人とも、最大で10万人とも伝わります。江戸の市街のおよそ6割が焼け落ち、難攻不落のはずだった江戸城の天守までもが炎にのまれました。「振袖火事」という不思議な異名で語り継がれるこの大火は、なぜそれほどの惨事になったのでしょうか。 明暦の大火とは?江戸の大半を焼いた「3日間」 明暦の大火は、明暦3年1月18日から20日(新暦の1657年3月2日〜4日)にかけて、江戸の中心部を襲った大火災です。 ...

関東大震災の被害とは?死者10万人を奪った火災旋風の真実

関東大震災の被害とは?死者10万人を奪った火災旋風の真実

1923年(大正12年)9月1日、お昼前の街を突然の激しい揺れが襲いました。関東大震災です。マグニチュード7.9、最大震度6。けれど本当に多くの命を奪ったのは、揺れそのものではありませんでした。地震のあとに広がった炎、そして炎が竜巻となって人々を飲み込んだ「火災旋風」。最終的な死者・行方不明者は約10万5,000人にのぼります。この記事では、被害の全体像から火災が広がった理由、そして現代に生きる私たちへの教訓までを、わかりやすくたどっていきます。 関東大震災の被害の全体像をつかもう 関東大震災が発生したの ...

箱根山が噴火したら何が起きる?

箱根山が噴火したら何が起きる?被害予測と対策を徹底解説

「火砕流が横浜まで届いたことのある山」と聞いて、どの山を思い浮かべるでしょうか。富士山ではありません。温泉と美術館の街、箱根です。 箱根山は2015年に実際に噴火した現役の活火山で、現在の噴火警戒レベルは1。ふだんは静かですが、約6万6千年前の大噴火では火砕流が現在の横浜方面まで達し、東京にも軽石が降り積もりました。 この記事では、箱根山が噴火したら何が起きるのかを、2015年噴火の実例、過去の巨大噴火の痕跡、そして2025年に改定された最新のハザードマップから読み解きます。 箱根山噴火の可能性は?現在の ...

福井地震はいつ起きた?

福井地震はいつ起きた?1948年の惨禍から最新の地震情報まで完全解説

福井地震の震度7の地震はいつ発生した? 1948年6月28日午後4時13分――この日、福井平野を大地震が襲いました。マグニチュード7.1を記録したこの地震は、当時の震度階級で最高の震度6を観測しました(現在の基準では震度7相当とみなされます)。 地震が発生した直後、福井市内は悲惨な状況に見舞われました。建物の80%以上が倒壊または大きな損傷を受け、3,728人もの尊い命が失われました。特に、第二次世界大戦の空襲からの復興途上にあった福井市は、再び大きな被害を受けることになったのです。 被害状況(1948年 ...

江戸の津波と噴煙を上げる富士山、現代の街に迫る巨大津波を対比させた油彩イラスト

宝永地震と東日本大震災どっちがヤバい?富士山噴火まで起きたM8.6の真実

揺れて、津波が来て、その49日後に富士山が噴火する。作り話ではなく、1707年の宝永地震で実際に起きた連鎖です。数字だけ比べれば、M9.0・死者行方不明2万2,000人超の東日本大震災の方が規模は上。それでも「日本史上最悪の地震はどっちか」と聞かれると、専門家でも答えに迷います。 この記事では、マグニチュード・津波・死者数のデータ比較から、宝永地震だけが持つ「富士山噴火という続き」まで、二つの巨大地震を正面から比べていきます。 宝永地震と東日本大震災どっちがヤバかった?まず比較表で結論 先に結論を置きます ...