幕末の動乱がいよいよ深まる1855年(安政2年)の秋の夜、江戸の地が突き上げるように激しく揺れました。安政江戸地震です。マグニチュードは7前後と、巨大地震ほどではありません。けれど真下で起きた直下型ゆえに被害は深刻で、地震と火災あわせて約1万人が亡くなったと伝わります。そして揺れのあと、なぜか江戸を席巻したのは大量の「鯰(なまず)の絵」でした。
安政江戸地震とは?江戸の真下で起きた直下型地震
安政江戸地震が発生したのは、安政2年10月2日(新暦1855年11月11日)の夜10時頃。震源は荒川河口付近とされ、マグニチュードは7.0〜7.1と推定されています。現代でいう首都直下地震そのもので、大名小路や本所、深川、浅草などでは震度6弱〜6強に達したとみられています。
規模だけ見れば、南海トラフのような巨大地震には及びません。それでも被害が大きかったのは、人口百万を超える大都市・江戸の真下で起きたから。地震の怖さは規模だけでは決まらない――安政江戸地震は、その事実をはっきりと示しています。
補足しますと、震源が浅く真下だと、規模が小さめでも揺れが激しくなりやすいのですよ。
安政江戸地震の被害|死者1万人と倒れた1万4千軒
夜の地震は、寝込みを襲うぶん逃げ遅れを生みます。安政江戸地震では、倒壊した町屋がおよそ1万4千軒。さらに各所で火災が発生し、地震と火事をあわせた死者は約1万人にのぼったと伝えられています。建物の被害は、江戸全体の実に8割に達したともいわれます。
とくに被害が集中したのは、地盤のやわらかい下町でした。埋め立て地や川沿いの低地では揺れが増幅され、家々が次々と倒れたのです。同じ江戸でも、立つ土地によって被害が大きく分かれた。これは現代の都市防災にもそのまま通じる、重い教訓です。
安政江戸地震で散った藤田東湖|母をかばった最期
この地震は、幕末史にも大きな爪痕を残しました。水戸藩の思想家で、尊王攘夷の志士たちに絶大な影響を与えた藤田東湖が、小石川の藩邸でこの地震に遭い、命を落としたのです。享年50。一度は屋外へ逃れたものの、火鉢の火を案じて邸内へ戻った母を追ったところを、激震が襲いました。
落ちてくる梁を自らの肩で受け止め、母を逃がした東湖は、力尽きて下敷きとなりました。同じ水戸藩の戸田忠太夫もこの地震で落命し、二人は「水戸の両田」と惜しまれます。一夜の揺れが、時代を動かすはずだった頭脳を奪った。安政江戸地震は、歴史の歯車をも狂わせたのです。
お母さまを守って…なんて方なのでしょう。胸が詰まりますね
安政江戸地震と鯰絵|人々はなぜ鯰を描いたのか

安政江戸地震のあと、江戸でとても不思議な現象が起きました。鯰絵(なまずえ)と呼ばれる、大鯰を描いた多色刷りの版画が大量に出回ったのです。その数、わずか2か月ほどで約200種類。地震直後の混乱のなかで、これは異例のブームでした。
当時の人々は、地中にひそむ大鯰が暴れることで地震が起きる、と信じていました。鯰絵には、鯰を懲らしめる絵もあれば、逆に世直しの使者として鯰を拝む絵もあります。災いへの恐怖と、復興への願い、そしてしたたかな笑い。庶民が地震をどう受け止めたかが、一枚の絵に凝縮されているのです。
えっ、地震のあとに鯰の絵が大流行…?江戸の人の発想、独特ですね
安政江戸地震と「安政の大地震」|連発した災害
実は安政年間は、大地震が立て続けに襲った時代でした。前年の1854年には安政東海地震・安政南海地震という南海トラフの巨大地震が連発し、その翌年に江戸を直下型が襲ったのです。これらをまとめて「安政の大地震」と呼ぶこともあります。
巨大地震、直下型地震、津波、そして各地の火災。安政の人々は、まさに災害が次々と押し寄せる日々を生きていました。地震は一度きりで終わるとは限らない――この連発の記憶は、現代を生きる私たちにとっても他人事ではありません。
安政江戸地震が現代に残す教訓・防災への学び
安政江戸地震が私たちに教えるのは、「規模が中くらいでも、都市の真下なら大災害になる」という事実です。いま懸念される首都直下地震は、まさにこの安政江戸地震の再来ともいえる存在。170年前の被害は、決して過去の話ではありません。
- 寝室の家具を固定し、就寝中の落下・転倒から身を守る
- 地震直後の火災に備え、感震ブレーカーや初期消火の備えを確認する
- 自宅の地盤・揺れやすさをハザードマップで知っておく
夜の地震、密集した街、やわらかい地盤、そして火災。安政江戸地震が抱えていた条件は、現代の大都市にもそのまま当てはまります。江戸の人々が鯰絵に込めた「もう二度と」という願い。その思いを、いまの備えへとつないでいきたいですね。
安政江戸地震はいつ起きたのですか?
安政2年10月2日、新暦では1855年11月11日の夜10時頃です。江戸の真下で起きた直下型地震で、マグニチュードは7.0〜7.1と推定されています。
安政江戸地震の死者数はどれくらいですか?
地震と火災をあわせて約1万人と伝えられています。倒壊した町屋は約1万4千軒にのぼり、被害は江戸全体の8割に達したともいわれます。
鯰絵とは何ですか?
地震を起こすと信じられた大鯰を描いた版画です。安政江戸地震の直後、約2か月で200種ほどが出回りました。恐怖や世直しへの願いが込められています。
まとめ|安政江戸地震が映す首都直下の現実
安政江戸地震は、マグニチュード7前後ながら、大都市・江戸の真下で起きたために約1万人もの命を奪いました。藤田東湖の死、そして200種に及ぶ鯰絵。被害と人々の心の両方を、いまに伝える地震です。
首都直下地震が懸念される今だからこそ、170年前のこの夜を振り返る意味があります。同じ江戸・東京を襲った災害の記事も、あわせて読んでみてください。