揺れて、津波が来て、その49日後に富士山が噴火する。作り話ではなく、1707年の宝永地震で実際に起きた連鎖です。数字だけ比べれば、M9.0・死者行方不明2万2,000人超の東日本大震災の方が規模は上。それでも「日本史上最悪の地震はどっちか」と聞かれると、専門家でも答えに迷います。
この記事では、マグニチュード・津波・死者数のデータ比較から、宝永地震だけが持つ「富士山噴火という続き」まで、二つの巨大地震を正面から比べていきます。
宝永地震と東日本大震災どっちがヤバかった?まず比較表で結論

先に結論を置きます。単発の地震としての規模は東日本大震災、災害の「連鎖」としての異常さは宝永地震。主要データを並べると、こうなります。
| 項目 | 宝永地震 | 東日本大震災 |
|---|---|---|
| 発生日 | 1707年10月28日 | 2011年3月11日 |
| マグニチュード | M8.6(推定) | M9.0 |
| 地震のタイプ | 南海トラフのプレート境界型 | 日本海溝のプレート境界型 |
| 死者・行方不明 | 少なくとも2万人とも5,000人余とも(諸説) | 2万2,000人超(関連死含む) |
| 津波 | 高知県沿岸で4〜8m | 最大遡上高40.5m |
| その後 | 49日後に富士山が噴火 | 原発事故・長期避難 |
マグニチュードの差は0.4に見えますが、M8.6とM9.0ではエネルギーがおよそ4倍違います。地震単体の強さでは東日本大震災に軍配が上がる。これは動きません。
ただし当時の日本の人口は約3,000万人。現在の4分の1の人口で2万人が犠牲になったとすれば、社会に与えた打撃の重さは単純な数字以上です。しかも宝永地震には、東日本大震災にはなかった「続き」がありました。
「どっちが上」と一言で言えないのが、この比較の面白いところなんです。順番に見ていきましょう。
宝永地震はいつ・どこで起きた?南海トラフ全域が動いた地震のタイプ

宝永地震が起きたのは1707年10月28日(宝永4年10月4日)の午後2時頃。江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の時代です。震源域は遠州灘沖から四国沖にかけて。つまり南海トラフのほぼ全域が一度に破壊されたと推定されています。
地震のタイプは、フィリピン海プレートが陸側のプレートの下に沈み込む境界で起きるプレート境界型(海溝型)地震。ふだん引きずり込まれている陸側のプレートが、限界を超えて一気に跳ね上がるしくみです。東日本大震災と同じタイプですが、動いた場所が違います。
南海トラフ地震は本来、東海・東南海・南海という区画ごとに起きたり、時間差で連動したりします。1854年の安政東海・南海地震では32時間差の二連発でした。ところが宝永地震は、その全部が同時に動いたとされる特異なケース。推定マグニチュードは8.6、研究によっては9クラスだったという説もあります。
揺れは東海地方から九州まで、広い範囲で震度6〜7相当。江戸時代の記録で「揺れの範囲」がここまで広い地震はほかにありません。
普段は分割で起きる地震が、全区画同時ですか…!それは規模が桁違いになりますね。
宝永地震の死者数と津波被害|土佐から消えた「亡所」の記録
宝永地震の死者数は、少なくとも2万人とも、確かな記録を集計すると5,000人余とも伝わります。300年前の災害なので正確な集計は残っていませんが、家屋の倒壊・流失は約8万棟。江戸時代の地震被害としては最も広域で、最も多様でした。
被害の主役は津波です。地震発生からまもなく、東海から九州までの太平洋沿岸を津波が襲いました。特に被害が集中したのが土佐(現在の高知県)。高知県内だけで死者1,844人・行方不明926人、流失家屋は1万1,000棟を超えます。
高知市の種崎という集落について、当時の記録『谷陵記』はこう書き残しています。「亡所一草一木残ナシ」。集落ごと消え、草も木も残らなかった。種崎だけで700人余りが亡くなったとされます。
被害は沿岸だけでは終わりません。内陸の大阪でも津波が川を遡上して橋や船を破壊し、死者500人余り。さらに地殻変動で高知平野が最大2mほど沈降し、田畑が長期間海水に浸かりました。四国の名湯・道後温泉の湧出が145日間止まったという記録まで残っています。地面の下で、それほど大きな変化が起きていたわけです。
「一草一木残ナシ」…たった七文字に、集落の最期が刻まれているんですね。
宝永地震の49日後、富士山が噴火した|江戸に降った黒い灰

宝永地震を「日本史上最悪クラス」に押し上げているのが、この続きです。地震から49日後の1707年12月16日、富士山が大噴火を起こしました。世に言う宝永大噴火。富士山にとって、これが現在までの最後の噴火です。
噴煙の高さは推定2万m。約100km離れた江戸にも火山灰が降り、儒学者・新井白石は「昼なのに雪のように白い灰が降り、やがて黒い灰に変わった。咳に苦しむ人が続出した」という趣旨の記録を『折たく柴の記』に残しています。噴火は勢いを変えながら16日間続きました。
巨大地震の揺れが地下のマグマを刺激して噴火を誘発した、と考えられています。つまり宝永の人々は、地震・津波・噴火という三段構えの災害を、わずか2か月足らずの間に経験したことになります。降り積もった灰は農地を潰し、その後の飢えと土砂災害は数十年単位で尾を引きました。
噴火の詳しい経過と被害は、別記事の富士山宝永噴火で掘り下げています。「江戸に灰が降った16日間」の記録は、こちらでどうぞ。
もし次の南海トラフ地震の後に富士山が動いたら…と考えると、宝永は「過去の話」では済まない気がします。
宝永地震に前兆はあったのか?井戸涸れと引き潮の言い伝え
「宝永地震には前兆があったのか」。よく検索される疑問ですが、正直に答えると、地震の前触れとしてはっきり確認された前兆は残っていません。江戸時代の記録に「数日前から井戸が涸れた」といった話は各地に伝わるものの、科学的に裏付けられたものではないのです。
一方で、興味深い記録はあります。三重県尾鷲の賀田では「地震が収まったあと、井戸の水が涸れ、沖の島まで潮が引いてから津波が来た」と伝えられています。これは地震の前兆ではなく、津波が来る直前のサイン。海水が大きく引くのは、津波の第一波が「引き波」で始まる場合の典型的な現象です。
ただし、ここで覚えておいてほしいことが一つ。潮が引かなくても津波は来ます。第一波が押し波で始まる津波も普通にあり、東日本大震災でも「引き潮を確認してから逃げよう」とした人が逃げ遅れました。前兆探しより、揺れたら逃げる。これが300年分の記録から言える結論です。
補足しますと、道後温泉の湧出停止のように「地震後」の異変は多数記録されていますが、「地震前」の確かな記録はほぼ無いのですよ。
東日本大震災の規模をデータで見る|M9.0と遡上高40.5m
比較相手の実力も、きちんと見ておきましょう。2011年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)は、マグニチュード9.0。日本の観測史上最大で、世界でも1900年以降4番目の規模です。
津波の最大遡上高は、岩手県宮古市の姉吉地区で40.5m。ビル10階を超える高さまで波が駆け上がりました。死者・行方不明者は直接の犠牲だけで約2万2,000人、震災関連死を含めれば2万6,000人に迫ります。被害総額は約16兆9,000億円。自然災害の経済被害として世界最大級です。
そして福島第一原発事故という、江戸時代には存在しなかった種類の二次災害が重なりました。宝永の「噴火」と東日本の「原発事故」。時代は違えど、巨大地震は本震だけでは終わらないという構図が、300年を挟んで不気味に重なります。
現代への教訓・防災への学び|次の南海トラフに宝永型はあるか
宝永地震は、過去の記録である以上に「未来の予告編」かもしれません。政府の地震調査委員会は、南海トラフでM8〜9クラスの地震が起きる確率を今後30年以内に80%程度と評価しています。そして次の南海トラフ地震が宝永型(全域同時破壊)になる可能性も、否定されていません。
宝永と東日本、二つの巨大地震から引き出せる教訓を絞るなら、この3つです。
- 揺れたら即・高台へ:引き潮などのサインを待たない。津波は数分で来ることがある
- 本震の後こそ警戒する:宝永は49日後に噴火、東日本は原発事故。災害は連鎖する
- ハザードマップで自分の土地の過去を知る:宝永の津波が来た場所には、次も来る
三つ目は特に強調しておきます。種崎のように「一草一木残ナシ」となった土地の多くは、安政でも昭和でも繰り返し津波に襲われています。災害は同じ場所に帰ってくる。だからこそ、300年前の記録を読む意味があるのです。
あなたの住む町に宝永の津波が届いていたか、ハザードマップと郷土史で一度調べてみてください。
宝永地震と東日本大震災のよくある質問
宝永地震のマグニチュードはいくつですか?
推定M8.6とされています。江戸時代の地震のため観測データはなく、被害記録からの推定で、M8.4〜9クラスまで研究により幅があります。いずれにせよ南海トラフ地震としては史上最大級です。
宝永地震と東日本大震災、津波はどっちが高かったですか?
東日本大震災です。最大遡上高40.5m(岩手県宮古市姉吉)は日本の観測史上最大。宝永地震の津波は高知県沿岸で4〜8mと推定されますが、それでも集落が丸ごと消えるには十分な高さでした。
次の南海トラフ地震も富士山噴火とセットで起きますか?
必ずセットになるとは言えません。ただし宝永の実例がある以上、国も「南海トラフ地震後の富士山噴火」を想定シナリオの一つとして検討しています。富士山は宝永噴火以来310年以上沈黙しており、活火山であることに変わりはありません。
宝永地震はいつ、どの時代に起きましたか?
1707年10月28日(宝永4年10月4日)午後2時頃、江戸時代中期・徳川綱吉の治世です。同じ年の12月16日に富士山の宝永大噴火が続きました。
まとめ|「どっちがヤバいか」の先にある答え
宝永地震と東日本大震災。規模と津波の高さでは東日本大震災が上回り、連鎖の異常さでは宝永地震が突出する。比べて分かるのは優劣ではなく、南海トラフは全域同時に動くことがあり、巨大地震は本震だけでは終わらないという二つの事実でした。
宝永から300年余り。南海トラフには、すでに次のエネルギーが溜まり続けています。「どっちがヤバかったか」という問いは、いずれ「次にどう生き延びるか」という問いに変わります。その準備は、記録を知った今日から始められます。
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