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 天変地異の日本史

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安政東海・南海地震とは|32時間で連動したM8.4と稲むらの火の真実

安政東海・南海地震とは|32時間で連動したM8.4と稲むらの火の真実

津波が迫る夜、一人の男が、刈り取ったばかりの自分の稲の束に火を放ちました。逃げ道を照らし、村人を高台へ導くために——。これは稲むらの火として知られる、安政南海地震の実話です。1854年、東海地震と南海地震がわずか32時間のうちに連続して発生しました。いずれもマグニチュード8.4と推定される南海トラフの巨大地震で、東海から四国までを津波が襲いました。 安政東海地震・南海地震とは?32時間で連続した巨大地震 安政東海地震は、1854年12月23日の朝に発生した、マグニチュード8.4と推定される巨大地震です。駿 ...

天明の大飢饉とは|浅間山と地球規模の冷害が招いた江戸最大の飢饉

天明の大飢饉とは|浅間山と地球規模の冷害が招いた江戸最大の飢饉

地球の裏側で起きた火山の噴火が、東北の村々を飢えさせた——そんな出来事が、江戸時代に実際にありました。天明の大飢饉です。1782年から数年にわたり、浅間山の噴火やアイスランドの火山噴火が重なって世界的な冷害が起き、各地で米が実りませんでした。餓死者は弘前藩だけで数万人、全国では数十万人にのぼったとも伝えられます。江戸時代最大級の飢饉でした。 天明の大飢饉とは?江戸三大飢饉の一つ 天明の大飢饉は、天明年間(1781〜1789年)に起きた大規模な飢饉です。とくに被害が深刻だったのは1782年から1788年ごろ ...

雲仙普賢岳大火砕流とは|死者行方不明43人を奪った6.3の真実

雲仙普賢岳大火砕流とは|死者行方不明43人を奪った6.3の真実

時速100kmを超える速さで、数百度の高温のかたまりが山を駆け下りる——それが火砕流です。1991年6月3日、長崎県の雲仙普賢岳で大規模な火砕流が発生し、43人が亡くなり、または行方不明となりました。犠牲者には消防団員や警察官、報道関係者、そして火山学者も含まれていました。火砕流の恐ろしさと、災害取材のあり方を日本に問いかけた出来事です。 雲仙普賢岳の噴火とは?198年ぶりの火山活動 雲仙普賢岳は、長崎県の島原半島にある火山です。1990年11月、およそ198年ぶりに噴火活動を再開しました。前回の活動は江 ...

濃尾地震とは|M8.0・死者7273人を出した日本最大の内陸地震

濃尾地震とは|M8.0・死者7273人を出した日本最大の内陸地震

ある朝、田んぼの真ん中に高さ6メートルの崖が突然出現した——そんな信じがたい光景を残したのが濃尾地震です。1891年(明治24年)10月28日午前6時38分、岐阜・愛知を中心にマグニチュード8.0の地震が発生しました。海ではなく陸の真下で起きた内陸直下型地震としては日本最大で、死者は7,273人。日本の地震研究は、この災害から本格的に始まりました。 濃尾地震とは?日本最大の内陸直下型地震 濃尾地震は、1891年10月28日の早朝に発生した地震です。「濃尾」とは、被害が集中した美濃(岐阜県)と尾張(愛知県) ...

伊勢湾台風とは|死者行方不明5098人・戦後最悪の台風と高潮の真実

伊勢湾台風とは|死者行方不明5098人・戦後最悪の台風と高潮の真実

台風による犠牲者の数として、明治以降で最悪——それが伊勢湾台風です。1959年9月26日、紀伊半島の潮岬付近に中心気圧929.5hPaという猛烈な勢力で上陸し、名古屋港では高さ3.89mの高潮を記録しました。死者・行方不明者は5,098人。被害を決定的にしたのは、暴風でも豪雨でもなく、海から押し寄せた高潮でした。 伊勢湾台風とは?戦後最悪の被害を出した台風 伊勢湾台風は、1959年(昭和34年)9月26日に日本に上陸した大型で非常に強い台風です。和歌山県の潮岬付近に上陸したときの中心気圧は929.5hPa ...

東日本大震災とは|M9.0・死者行方不明2万人超を奪った3.11の真実

東日本大震災とは|M9.0・死者行方不明2万人超を奪った3.11の真実

日本の観測史上、最大の地震。2011年3月11日午後2時46分、東北地方の沖合で発生したマグニチュード9.0の巨大地震は、宮城県栗原市で震度7を記録し、東北から関東の太平洋沿岸に高さ十数メートルの津波を押し寄せました。死者・行方不明者は1万8,000人を超え、避難生活などで亡くなった方を含めると2万2,000人以上。東日本大震災です。私たちの防災と暮らしを、根底から問い直すことになった災害でした。 東日本大震災とは?観測史上最大M9.0の地震 東日本大震災は、2011年3月11日午後2時46分に発生した東 ...

阪神・淡路大震災とは|死者6434人・震度7が初めて記録された日

阪神・淡路大震災とは|死者6434人・震度7が初めて記録された日

1995年1月17日、午前5時46分。まだ多くの人が眠る冬の早朝、関西の街を激しい直下型地震が突き上げました。阪神・淡路大震災です。マグニチュードは7.3。日本で初めて震度7が記録され、亡くなった方は6,434人にのぼりました。倒れたのは木造家屋だけでなく、頑丈なはずの高速道路やビルまで。戦後日本の防災を、根底から変えた一日でした。 阪神・淡路大震災とは?震度7が初めて記録された地震 阪神・淡路大震災は、1995年1月17日午前5時46分に発生した兵庫県南部地震による災害です。震源は淡路島北部沖の明石海峡 ...

浅間山天明大噴火とは|鎌原村を消した火砕流と天明の飢饉

浅間山天明大噴火とは|鎌原村を消した火砕流と天明の飢饉

群馬と長野の境にそびえる浅間山。その山が記録上最大の猛威をふるったのが、1783年(天明3年)の浅間山天明大噴火です。山を流れ下った火砕流と泥流は、ふもとの鎌原村をまるごと呑み込み、一瞬で村人483名の命を奪いました。噴火全体の死者は約1,624人。さらに降り積もった灰は、すでに始まっていた天明の大飢饉に、容赦なく追い打ちをかけたのです。 浅間山天明大噴火とは?記録に残る最大の噴火 浅間山は1783年(天明3年)の春から活動を強め、とりわけ旧暦7月8日(新暦8月5日)に最大規模の噴火を起こしました。これは ...

安政江戸地震とは|死者1万人・江戸を襲った直下型地震と鯰絵の真実

安政江戸地震とは|死者1万人・江戸を襲った直下型地震と鯰絵の真実

幕末の動乱がいよいよ深まる1855年(安政2年)の秋の夜、江戸の地が突き上げるように激しく揺れました。安政江戸地震です。マグニチュードは7前後と、巨大地震ほどではありません。けれど真下で起きた直下型ゆえに被害は深刻で、地震と火災あわせて約1万人が亡くなったと伝わります。そして揺れのあと、なぜか江戸を席巻したのは大量の「鯰(なまず)の絵」でした。 安政江戸地震とは?江戸の真下で起きた直下型地震 安政江戸地震が発生したのは、安政2年10月2日(新暦1855年11月11日)の夜10時頃。震源は荒川河口付近とされ ...

宝永地震とは|南海トラフ最大級・死者2万人と富士山噴火を呼んだM8.6

宝永地震とは|南海トラフ最大級・死者2万人と富士山噴火を呼んだM8.6

日本の歴史に刻まれた地震のなかで、最大級とされるものをご存じでしょうか。1707年(宝永4年)の宝永地震です。マグニチュードはおよそ8.6。東海から四国まで、南海トラフがほぼ同時に動いたと推定され、死者は全体で約2万人にのぼったと伝わります。しかもこの49日後には、富士山までもが火を噴きました。日本列島が連鎖的に揺れ動いた、忘れがたい年です。 宝永地震とは?南海トラフがほぼ全域で動いた巨大地震 宝永地震が起きたのは、宝永4年10月4日(新暦1707年10月28日)の午後2時頃。震源域は遠州灘から四国の沖合 ...

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