1783年は、世界中の記録に「呪われた年」として残っています。原因のひとつは、アイスランドのラキ噴火。大地が約25kmにわたって裂け、8か月間も溶岩と有毒ガスを吐き続けた巨大噴火です。アイスランドでは人口のおよそ2割が命を落とし、毒の霧はヨーロッパで数万人を死なせ、めぐりめぐって日本の天明の大飢饉の一因になったと考えられています。地球の裏側の噴火が、なぜ江戸の米びつを空にしたのか。この記事でその全貌をたどります。
ラキ噴火とは?1783年にアイスランドで起きた「割れ目噴火」の正体
富士山のような山の頂上が火を噴いたのではありません。1783年6月8日、アイスランド南部で大地そのものが約25kmにわたって裂けたのです。裂け目には約130もの火口が並び、溶岩の噴水が数百メートルから1,000mを超える高さまで吹き上がりました。これが「割れ目噴火」と呼ばれるタイプで、ラキはその歴史時代における最大級の例です。
溶岩の量14〜15km³は、東京ドーム約1万2,000杯分。ただしラキの本当の恐ろしさは、溶岩ではありませんでした。人を殺したのは、目に見えにくい「ガス」です。
山じゃなくて、大地が25kmも裂けるんですか…!想像がつかないスケールです…
ラキ噴火の被害|アイスランドの人口2割を奪った「霧の困難」
噴火そのものによる直接の死者は、実はわずかでした。本当の地獄は、噴火のあとに静かに始まります。アイスランドの歴史でこの時期は「霧の困難(モージュハルジンディン)」と呼ばれ、国が消えかけた数年間として記憶されています。
犯人は約800万トンのフッ素化合物です。火山ガスに含まれるフッ素が牧草に降り積もり、それを食べた家畜が次々に倒れました。羊の約8割、牛と馬の約半分が骨や歯を冒されて死んだとされます。牧畜の国で家畜が消えるということは、食料が消えるということ。追い打ちのように寒さと不作が重なり、9,000人以上、人口のおよそ21%が飢えと病で亡くなりました。
5人に1人が亡くなる規模なんて…。噴火が直接ではなく、飢えで、というのがつらいです。
災害の主役が「溶岩や火砕流」ではなく「ガスと飢え」だったこと。これがラキ噴火を理解する鍵で、のちに日本へつながる伏線でもあります。そしてこの毒ガスは、アイスランドだけにとどまりませんでした。
ラキ噴火の毒霧がヨーロッパを覆う|フランス革命の遠因説まで

1783年の夏、ヨーロッパの空は奇妙でした。太陽が血のように赤くかすみ、乾いた霧が何週間も晴れない。イギリスでもフランスでも、農作業をしていた人々が喉や肺をやられて倒れていきました。正体は、ラキから偏西風に乗って運ばれた二酸化硫黄の霧。この年の夏から翌年の冬にかけて、ヨーロッパでは数万人規模の超過死亡が出たと研究されています。
面白いのは、当時この謎の霧の正体に迫った人物がいたことです。アメリカ建国の父ベンジャミン・フランクリンは、パリ滞在中にこの異常な霧と寒さを観察し、「アイスランドの火山が原因ではないか」という説を発表しました。火山と気候変動を結びつけた、科学史に残る洞察です。
さらにこの噴火は、歴史の歯車まで回したかもしれません。異常気象による不作と食料高騰がフランスの民衆の困窮に拍車をかけ、1789年のフランス革命の遠因になったとする説があります。もちろん革命の原因は複合的ですが、「火山が王政を倒す一押しをした」という視点は、災害史の面白さそのものだと思いませんか。
噴火から革命まで6年。歴史の教科書の別々のページが、空の上でつながっていたんですね。
そして1783年、地球はもう一発の巨大噴火を食らいます。場所は日本。よりによって、同じ年の夏でした。
ラキ噴火と浅間山噴火|1783年、地球の裏と表で起きたダブルパンチ

ラキが裂けてからおよそ2か月後の1783年8月5日(天明3年7月8日)、今度は群馬・長野県境の浅間山が大噴火を起こしました。火砕流と土石なだれが北麓の鎌原村を一瞬で飲み込み、村人570人のうち477人が犠牲に。「浅間山噴火で生き埋めになった村」として知られる、日本近世最悪級の火山災害です。詳しくは浅間山天明大噴火の記事で、発掘された鎌原村の話まで掘り下げています。
つまり1783年の地球は、北大西洋と東アジアの両方から同時に大量の火山ガスを注入された状態でした。成層圏に届いた硫酸のベールが日射を遮り、北半球の気温を押し下げる。ラキ単独でも十分に強烈でしたが、浅間山が追い打ちをかけた形です。
補足しますと、冷害への寄与は「ラキが主、浅間山が従」とする研究が多いのですよ。規模のケタが違いますからね。
ちなみに浅間山は今も気象庁が常時監視する活火山で、2000年代以降もたびたび小規模な噴火を繰り返しています。「浅間山の噴火は昔話ではない」という事実も、覚えておいて損はありません。
ラキ噴火と天明の大飢饉のつながり|日本の空に何が起きたのか

1780年代の東北地方は、夏なのに綿入れを着るような冷たい年が続きました。やませ(冷たい北東風)が吹き、稲は実らず、天明の大飢饉(1782〜1788年)では全国で数十万人が餓死・病死したと推定されています。日本史上最悪の飢饉のひとつです。
この冷害の背景として研究者が指摘するのが、ラキ噴火による北半球規模の日射減少です。地球の裏側の噴火が成層圏に撒いた硫酸エアロゾルは、偏西風に乗って北半球全体を覆いました。江戸の人々は、自分たちを飢えさせている犯人がアイスランドにいるとは、想像すらできなかったでしょう。飢饉の全体像は天明の大飢饉の記事で詳しく書いています。
ただし正直に書くと、「天明の飢饉はどこまでがラキのせいか」は今も研究が続くテーマです。もともと1780年代は世界的に寒い時期で、やませなど日本固有の要因もありました。ラキは飢饉を「起こした」のではなく、崖っぷちの農村を「突き落とした」。そんな理解がいちばん実像に近いと思います。
江戸時代の飢饉の犯人が、地球の裏側の火山かもしれないなんて…。当時の人には絶対に見えない繋がりですね。
現代への教訓・防災への学び
ラキ噴火が現代に突きつける問いはシンプルです。「同じ噴火が今起きたら、世界は耐えられるのか」。
2010年、アイスランドの噴火がヨーロッパの空港を約1週間麻痺させ、世界の物流が大混乱したのを覚えている方も多いはず。あれはラキと比べれば豆粒のような規模でした。火山国に住む私たち日本人にとって、ラキの教訓は「噴火の被害は火口の周りだけでは終わらない。空を通じて、食卓まで来る」という一点に尽きます。
同じ「空から世界を冷やした噴火」として、1815年のタンボラ噴火もぜひ読み比べてみてください。ラキの32年後、今度はもっと大きな「夏のない年」が世界を襲います。
ラキ噴火に関するFAQ
ラキ噴火はどこで起きたのですか?
アイスランド南部のラカギガル(ラキ火口群)です。1783年6月8日に大地が約25kmにわたって裂け、約130の火口から8か月間噴火が続きました。
ラキ噴火と天明の大飢饉は本当に関係があるのですか?
ラキ噴火の硫酸エアロゾルが北半球の日射を減らし、東北の冷害を深刻化させた一因とする研究があります。ただし、やませなど日本側の要因もあり、寄与の大きさは現在も研究途上です。同年の浅間山噴火も影響を与えたと考えられています。
1783年の浅間山噴火では何が起きたのですか?
1783年8月5日(天明3年7月8日)、浅間山の大噴火で発生した火砕流と土石なだれが北麓の鎌原村を襲い、村人570人のうち477人が犠牲になりました。全体の死者は約1,500人とされます。
浅間山は最近も噴火していますか?
はい。浅間山は気象庁が24時間体制で監視する活火山で、2000年代以降も小規模な噴火をたびたび起こしています。登山の際は必ず最新の噴火警戒レベルを確認してください。
まとめ|ラキ噴火が世界史に刻んだもの
ラキ噴火は、溶岩でも火砕流でもなく「ガスと霧」で人を殺した噴火でした。アイスランドの人口2割、ヨーロッパの数万人、そして遠い日本の飢饉まで。ひとつの裂け目から吹き出した硫黄が、偏西風に乗って地球を一周し、各地の歴史を静かに書き換えていったのです。
災害は国境で止まらない。1783年の地球が教えてくれたこの事実は、気候と食料が世界中で結びついた現代にこそ、重みを増しています。